一部クラスを定額の寄付(会費制)で運営することについて
伝統的には、ヴェーダの知識は、ヨーガの知識は、資格のある人に無償で配られてきました。
とはいえ、それと引き換えにセーヴァという「奉仕」とダキシナーという「寄付」を弟子がすることになっていました。
現在でも、ヨーガのアーシュラムも寺院でもすべて無償でしているところもあります。
本来は、経典を教えるのも無償です。
ただし、セーヴァとダキシナーが必要です。
インドはこの文化が根付いていますし、
すでにある多くの寺院やアーシュラムは、無償の奉仕寄付で回っています。
これが理想です。
インドでは、特にヴリンダーヴァンでは、(ヴェーダを教え実践している人である)サードゥは
無料で電車に乗れたり、食べ物を食べれたり、宿泊も無料で留めてくれることがあります。
ところが、日本では、クリシュナの寺院どころか、ヒンドゥー教の寺院すらありません。
物価が高く、生活費がかかります。
ですから、現実的には、日本では、あるいは諸外国でも、
独身のブラフマチャーリーやサンニャーシーのサードゥの生活は困難であり、勧められないと
私たちの師匠(サードゥ・マハーラージャ)は判断し、弟子たちに仕事をしながら、
バクティやヨーガをすることを勧めています。
それで私も仕事をしながら、翻訳やクラスをしてきました。
グルデーヴァの慈悲で私の元でヴェーダやヨーガを学ぶ人が集まりはじめると、
「仕事をやめて専心するようにしなさい。
弟子や信奉者は、ジャヤーナンダが仕事をやめられるように助けなさい。」
と、私たちの師匠は、私のところで学んでいる方々にお話しをしてくださいました。
今回、その流れで、ある方々が好意で毎日、朝晩に無料でオンラインで提供しているクラスを
無料ではなく定額の寄付(会費制)で運営する、という提案をしてくださいました。
私は、この流れの中で、その方々の思いを受け入れた方が良いと判断しました。
師匠も皆様の好意に喜んでくださっています。
ヴェーダの知識は、永遠なる理想的な教えでありますが、
時と人と状況に応じて、師匠は、柔軟に運用することができます。
ですから、時に回答は一つではありません。
ヴェーダを真剣に学びたいという方が増え、経典やクラスなどが今までよりも多く提供されつつあります。
貧乏な人は学べないと思う方もいるかもしれませんが、お金の有無で学べるわけではなく、
その人の学びたいという貪欲さ、気持ちがすべてです。
私などもお金がない時は奉仕をするから滞在させてほしい、学ばせてほしいと言ったことは多々ありましたし、
他の方々に正直にお話して、寄付を頂いたことも本を頂いたこともあります。
本当に学びたいけれでも、お金のない方は、直接に私たちに言ってきたらいいと思います。
考慮させていただきます。
そして苦労した学びは忘れません。
私たちは、実はすべてのことを無償で30年近くやってきました。
キールタンもクラスもプラサーダも会場費もすべてです。
残念ながら、日本人は無償だと、軽く見る傾向があり、私たちの知識や奉仕を利用する人たちもいました。
無償の時は、質の良くない人が多くきました。
しかし、寄付を一定額頂くようになると、質の良い、ハイクラスの方も、より真剣な方もいらっしゃるようになりました。
ここで重要なのは、誰のために、だれの喜びのためにしているかという点です。
この目的が、師匠(グル)やクリシュナの信者(ヴァイシュナヴァ)、ラーダー・モーハンであれば、正しい態度です。
仮にすべて無償であっても、目的が逸れてしまったならば、正しいことのように見えても、実は正しくないかもしれません。
ここを間違えなければ、私たちは完成に向かっています。
ラーデーラーデー
ジャヤーナンダ・ダーサ
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